シリツ
流産しました。
たった8週間しか母になれなかった。
妊娠がわかったとき、同時に異動届を出された。私は産休にはいっている人の補填というのが明確な異動だった。だから、とても言い出しにくく、流産の可能性というのは一般的に12週間経つまであるのでまずは伏せることにした。
心のどこかで、上司に報告しなくて済んでほっとしたのかもしれない。そんな自分にすごく失望した。妊娠した嬉しさよりも、仕事どうしよう、異動先の上司に嫌われる、ということが先に来た。
その考え方をする自分がもうしんどかった
そして今後、今の仕事を続けて行くのに限界があると思った。もういい加減、自分のことを大事にしたい。
6月頃、心療内科にかかっていた。
環境や仕事を変えることが先決だと言われた。結婚したのはいいきっかけだと思い、自分に無理のない仕事に変えてみてはと言われた。
そして、今回
甘えかもしれないし、仕事からの逃げだというのはもう重々承知しているが、もう自分はこのままではまたいつか、無理をして穿った考え方を持ったまま、生きて行くことになると考えている。もう限界だと思った。
流産するのは15パーセント程度で5.6人にひとりらしい。
わたしがよく考えているのは交通事故に遭う確率。
今回15パーセントの中に入ったということは、交通事故に遭うのだって充分あり得るのた。
まったく想像がつかなかったが、その確率の中にはいる可能性はあるのだということがよくわかった。
わたしは、誰かが幸せになっているとき誰かが悲しい思いをしていることを身をもって再認識した。
詳細はかいていると悲しいのでふせるが、周りでは他人が幸せな思いをしている。
だが、わたしより辛い思いをしている人も間違いなくいる。
今後、幸せな出来事があったとしても
まわりの人に気遣える人間でありたい。
手術は軽いものだが不安が消えない。
取り外した マタニティマークと母子手帳は旦那が見えないところにしまっていた。
マタニティマークを取り外すとき、悲しかった。母子手帳をもらうのか早すぎたと思った。
喜んでいるのかわからないうちにいなくなってしまった。
ただただ、具合が悪かった。
妊娠カレンダーに出てくる枇杷のシャーベットを思い出し、つわりのような、つわりではないような吐き気に耐えた。
妊娠が終わろうとしているが、吐き気が治らない。これはおそらく精神的なものではないかと思う。
食欲もない。
好きだったものは何も食べたくなく、凍らせたこんにゃくゼリーばかりを食べている。
もう妊婦ではないというのに。
この悲しみから抜け出せることはあるのだろうか。